最近の話

  2001年12月22日   「クリスマス」

 はっきり言ってこの時期にベタベタな日記になってしまいますが、私がこれ(クリスマス)をどう思っているかを自己確認したいと思います。
 そんなに気合を入れるほど、大そうなことではないけれど、なんとなく想いを流してみます。

 結論は、はっきりしています。
 アンチクリスマス派
 であるということです。


 正確に言うと、日本のクリスマスに対する認識・宗教観の全く無いクリスマスに反対なわけです。
 純粋なキリスト教徒が、「Christ」という信仰の対象の誕生を祝って、教会とかでミサをやってるのは一向に構いませんよ。好きにしてくださいという感じです。

 それなのに、日本人はクリスチャンでもないのに妙に騒ぎ立てます。ひどい家なんぞ、仏壇の横にクリスマスツリーが飾ってあったりもします。

お前の家にはポリシーとか秩序って言うもんはないのか?

と思わず突っ込みたくなるような家庭は決して珍しくないでしょう。

 そして何ゆえアンチなのかというと、これによって、なぜか私が被害に会ってしまうからです。
 この場合の被害というのは、相手が居ようが居まいが関係なく降りかかってきます。



@相手が居る場合
 このくそ忙しい師走の時期に、これのおかげで、別にしなくてもいいのに、何かしらやらなくてはいけないということを考えなければいけません。
 ましてや忘年会等々の年末行事で非常に出費がかさんでいるのに、追い討ちをかけるかのごとくこれは、プレゼントとかちょっと変わった嗜好のために、容赦なく金を懐から巻き上げていきます

だいたい、この
クリスマスプレゼントってなんなんですか?
女性陣よ、あなた達求める相手を間違ってませんか?
彼氏ではなくサンタなんですよ

 このクリスマスプレゼントという響きに対してワクワクできたのは、小学生のころ朝起きると何故か枕もとに置いてあったおもちゃがあって感激していたあのころだけです。
 今じゃ、この言葉を聞くたびに「痛っ!」としか反応できません。
もうほんとに、このクリスマスプレゼントって考えたの誰よ?
サンタクロース、あんたかいっ?
だいたいサンタクロースって誰よ?
クリスマスと全く関係ないじゃん!(たぶん)
 ここまで、アンチぶりを書きなぐると、「別にそんなに嫌なら特別なことしなくていいじゃん」と思うかもしれませんが、相手が何か期待してるのに答えなければいけないという強迫観念が私の性格上働いてしまうのです。
 それに何にもしないと人間性を疑われ「お別れ」の危機に瀕する可能性が大ということも確かです。



A相手が居ない場合(友達同士で過ごす編)
 なんなんでしょう?この重たい空気は?乾いた笑いは?
 楽しい話題が出て、笑った後に来る深い溜息。。。
 その空気を打ち消そうとして、将来の夢とか日本経済の問題にムリヤリ話題を振って、恐ろしくつまらなくて泥沼化していく会話
 さらに、もう当日だというのに、フリーの相手を何とか見つけ出して、仲間内から抜け出そうと虎視眈々と狙っている腹黒いヤツや、もう無理だとあきらめてそんなヤツをうらやましくも思いながらほぼ逆切れ状態で非難しまくるヤツ
 クライマックスが近づくに連れ、人間の負の面が渦巻きます。
 運良く、この日に相手が見つかったとしても、その瞬間その場にいた仲間との間に決定的な亀裂が入るのも事実です。
 結局どう転んでも、いろんな思念の渦がひしめき合い、Happy!な結末が待っているとは、私にはどうも思えません。



B相手が居ない場合(一人暮らし編)
 一人暮らしとは、自由気ままな分、時には結構さびしくなることもあります。心に寒さを感じます。
だけど、この日は部屋で暖房をがんがん炊いていても、
想像以上の大寒波が猛威を振るいます。

彼女の居ないヤツなんざ人にあらず!
ぐらいの勢いで心を鉄条網ではがい締めにします。

 テレビをつけると街のイルミネーションやら、幸せ満開のカップル達の映像が痛んだ心を容赦なく貫きます
 これぞまさにロンギヌスの槍!(この槍知らない人はGoogleででも検索してください、結構深い意味あります)
 唯一、明石家サンタと八木アナの番組だけが、ボロボロの心を和ましてくれます。

 そして、最も悲劇的なものは、魔の夕食

 全くおいしくない・・・。
普段一人で食べている時の7万倍くらいおいしくない。
たとえ、そこに「鉄人陳健一」が豪華食材を腕によりをかけて作った最高級ディナーがあったとしても、私にとっては
 味付けをしてないトコロテンを食べるのと同じ
になるでしょう。

 そして、大寒波(24日)が通り過ぎるのを待つため、布団にくるまり、打ちのめされながら怯える子羊のごとく眠りにつきます。(あれ?頬に冷たい水滴が流れ・・・)
 ほんと、徹底的にこの日というものに、打ちのめされ、心をゆがめられます。



C相手が居ない場合(家族と同居編)
 何かを感じます。
 恐ろしく重〜く冷たすぎる視線を。
 10代半ばまではまだ和やかでした。高校の時も受験という建前の元なんとかしのげました。
 大学生以降・・・。もうこの血族の間で12月24日という日を一人身で生き述べる術はありませんでした。。。

 「あれ?今日、夕御飯いるの。」
 という母の言葉・・・痛すぎます。知ってて聞くのですから、まさしく確信犯です。
 だいたい、この
 「あれ?」という最初の一言に、高濃度のニトログリセリンを含ませてます。

そして、その日一日中チラチラとさげすむような目線を送ってきます。
「お前なんで、今日この日に、ここにいるんだ?」
という内容のウィルスを、その目線に添付して送信するのです。
もちろん絶対にそんな凶悪なウィルスに犯された目線は受信しません
私の家族におけるアイデンティティーが完全に崩壊するからです。。。


 夜。

 一年で最も気まずい夕食会が催されたあと、極度に酸素の薄くなった団欒部屋(カサンドラ)の息苦しさに耐え切れず、自分の部屋に消えます。寝るまでの時間もまだあるので、ゲームなんかしてると、居間のほうで暗黒の審判が下されるべく家族会議が始まります。

 「あの子、いい歳して、彼女の一人もいないなんてほんとに大丈夫かね?」

・・・あのね〜、
たまたま相手のいない時が12月24日に重なっただけで、20年も育てた自分の息子への信頼がそこまでなくなるんかいっ!
(`皿')/ミ

だからクリスマスって嫌いです。

 「私達、孫の顔見ることができるのかね?」

 ドッカ〜ン!

 ・・・もう反論する言葉もありませんでした。


         
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