今月の名言
「平気の近代化は戦闘員よりも非戦闘員の被害を大きくしている」
BY NEWS23
2003年1月 |
最近のイラク・北朝鮮情勢に対応している各国の政治的な動きがさまざまな報道で嫌でも耳に入ってきますが、反面政治とは直接的に関わりの無い一般人の生活被害等を深く追求した報道というのは、なかなか難しいものでもあります。
しかし、この名言にもあるように、戦争の近代化は戦闘員の安全を高くする一方で、「大量破壊兵器」「空爆」等の言葉に代表されるように、非戦闘員への被害は少なくなるどころか大きくなっているように感じられます。前時代的な戦争であれば、戦場に出向かない限り直接的に攻撃を受けることは稀であったと思いますが、今では弾道ミサイルの誤差で簡単に(本当に簡単に)兵士で無い人間が死にます。
コンピュータの発達で戦場にいずとも戦闘を行うことができるようになりました(正確に言うとこの表現は間違っていますが、ニュアンス的には「ボタンひとつで」ということです)。ただその被害にあうのは、実際に被害を受けるべき人・物では無く、たまたま戦場にされてしまった所にたまたま生活をしていた一般人である事は少なくないと思われます。
以前どこかの国のジャーナリストがアフガンの被害を取材したレポートを読んだことがあります。そこに書いてあったことで今でも忘れられないのが、空爆で片足を無くした少女のことでした。
その片足をなくした少女は自家製の松葉杖をつきながら向かった先は学校でした。廃墟となった建物の中で、電気も無く日光だけを頼りに一心に学ぶ彼女にジャーナリストは何故に何を学ぶのかをたずねました。彼女は言いました、
「私は医者になりたい。医者になって一人でも私と同じ不幸に合わなくてすむようにしたい」
と語ったそうです。聞けば、空爆により家族全員が被害に合い、ろくな治療も受けられないまま彼女以外は皆他界したそうです。
人口の増加と飢饉、生活向上と汚染、宗教による精神保護と対立、政治の安定と独裁化、そして安全と戦争と被害と報復・・・全てを包括的に捕らえていくと私の3ビットの脳みそでは何が正しいのかがわからなくなります。
話はずれましたが、この名言のことを考えると、戦争をすることへの恐怖は以前より低いのかもしれません。ただそれゆえに闘うことの意義は良く考えていただきたいものです。
決して、保身のためではないということだけは望んでやみません。
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